プロフィール

 

 

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About me

1996年、奈良県生まれ。
奈良教育大学教育学部伝統文化教育専攻書道教育専修 卒業
高校書道の常勤講師を経て、現在は書道家として個展活動中
〜過去の個展〜

2020年  源 MINAMOTO

2020年  命 INOCHI

2022年  光 HIKARI

2022年  枠湧 wakuwaku

2023年  生きる

2024年  言葉と愛

2024年  風が動く。

大切にしていること

書道家として言葉を中心に作品を書いています。
作品のベースになっているのは「愛」です。言葉や行動、人との出会いや物事の奥に隠れているのは愛だったりします。それを私たちは縁や運命と読んでいるのかもしれません。
人生の中の岐路に立った時、人の温かさを感じた時、そこには必ず言葉がありました。のちに出てきますが、私自身が悩み立ち止まった時前へ一歩踏み出すことができたもの愛ある人の言葉でした。
作品たちが誰かの心を温め、寄り添いながら歩いていくような存在であると幸いです。

この道に進んだきっかけ

私は小・中学生時代、「全校生徒10数人!1学年4人!!!」という超田舎で育ちました。この頃の経験はとても良いものだったと思っています。田舎だから〜とか、都会の方が〜ということはないと思います。尊敬できる素敵な先生方に巡り合うことができました。
部活は剣道部、陸上部、放送部の3つくらいしかありませんでした。
勉強をするにしても競う相手は自分を抜いて3人。唯一社会の点数だけはライバルがいたのでテストのたびに競い合っていました。そんなこともあり、「なんとなく将来は社会の教師になる」というイメージを持っていました。中学3年の担任の先生(今でも交流があり、3時間くらい話すこともあります。喋る時間配分は先生が9、僕が1です!!)の勧めもあって、県内の「教育コース」という小学校教員の育成を目的とするクラスのある高校に進学しました。
ですがここで人生の大きな分岐点がありました。
小学2年生の頃から習字教室に通っていました。それを中学卒業まで続けていたので、高校の芸術選択も書道にしたわけです。ここで僕の人生が大きく変わりました。
授業の中で先生が半紙に書いた文字を黒板に貼るんです。その字がもう衝撃的で。表現の幅が広過ぎてすご過ぎて!!今までの習字とは明らかに異なる「書道」の世界に引き込まれました。
「文字を書くことにこんなに魅力があったのか!」黒板に貼られた半紙は、同じ漢字を様々な技術を用いて全く別の雰囲気を放っていました。

この瞬間に、「書道の教員を目指そう」という思いが芽生えました。

大学での半端じゃない練習
高校卒業後、なんとか「奈良教育大学」に進学することができました。
このなんとかというのが本当になんとかで、受験勉強はセンター試験を終えた後からひたすら実技練習です。当時の自分にできることは全てやり切りました。それでも前期試験は不合格。後期試験に望みを託し、試験までの期間に1000枚以上練習しました。
奈良教育大学は全国でも数少ない「書道を専門的に学び、かつ教員免許を取得する」ことを目的とした大学です。
一般的に高校書道の教員免許は文学部などに入学し、二回生から書道の技術や知識を学び、教育実習を経て取得するという流れになっています。
しかし、奈良教育大学の場合は一回生からバチバチに技術・知識を習得していきます。
さらに全国的にも優秀な先生方が常駐しているため、全国から学生が入学してきます。

 

なので周りのレベルも相当高いです…。

レポートや課題は半紙1000枚書いて提出とかは当たり前。
そのほかに、年間これだけの行事をこなしていきます。
  • 毎年の展覧会への出品(3作品!)
  • 同学年での展覧会を開催(絶対!)
  • 全学年での展覧会開催
私の場合は大学に泊まり込んで朝まで練習していました。
同級生や先輩たちとあーでもないこーでもないと言いながら、壁一面に作品を貼っていたのも楽しかったです。
大変でしたが、4年間で自分なりのスタイルを得られました。

縦2メートル、横4メートルの巨大屏風です!

関連記事「大学生活をふりかえって」↓

挫折

教員採用試験は高校書道で受けましたが残念ながら不合格。年間の採用枠は「1人」です。ですが書道の常勤講師としてしばらく働いていました。ただ、実際に働いてみると教育現場・日本の教育に疑念や不信感が募っていきました。

自分が間違っていると思うことをやり続けることは性に合わず、体調を崩して退職してしまいました。精神的にどん底でした。

 

中学時代からの夢と目標を失って、これからどうしようという感じでした。

 

背中を押してくれた「言葉」

仕事を辞めてからはやりたい事もなく会いたい人たちのところを訪ねていました。
高校時代の友人や恩師に会いに行っていました。
そんな中で心に響いたのは母の地元にいるおじさんの言葉でした。幼い頃から母の帰省のたびに山口県に行っていました。そこの親戚のおじさんのことがなんとなく昔から好きで、おじさんも昔から僕のことを気にかけていてくれたようです。そのおじさんが、
「お前の字には人に勇気や元気を与える力がある。道は開けているから心配ない。」
この言葉に大きく背中を押され、自信がつきました。おじちゃんの言葉には僕にとってものすごい「力」がありました。
自分の書いた言葉が、観た人の勇気や力になるなら書道家として活動するのもいいかもしれないと思いました。
あのおじさんの言葉がなければ、違う仕事をしていました。
そして家族と自分を支えてくれた人たちのお陰で今があります。

書道家として

今は便利な時代になりました。コミュニケーションをとることもインターネットを使って容易になりました。でも、だからこそ「言葉」って大切だと思うんです。
私は書道家として言葉を発信しています。自分の辿ってきた人生を振り返ると、いろいろな経験をしてきました。挫折も、被災も、別れも経験しました。それゆえに物事をプラスの視点ではなくマイナスの視点から観るようにもなりました。
辛いこともたくさんあるのが人生です。そして美しいもの、かけがえのない出会いがある、これも人生です。人に言えない思いや見せられない自分がいていい。周りと比べて自分が秀でていなくてもいい。それでも前を向いて、一歩ずつ歩んでいければと思っています。
私の作品たちが前に進むエネルギーの一部に成ることができれば嬉しいです。
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ウチの父ちゃんは「書道家」