「当たりまえ」なんて無いということ。

ことだま

 

最近少年時代に経験した災害のことを考えながら、「当たり前」なんていうものは無いんだと感じています。

災害がいつくるのかと言われると、答えは「わからない」です。

では、自分の身の回りのものがいつ無くなってしまうのか、どんなことが起きるのか。これも答えは「わからない」ではないでしょうか。目に見えて減っていくものを除いてほぼ全てわからないことだらけです。

 

小指をぶつける、道でこける、コーヒーをこぼす。

友達と喧嘩する、家族と喧嘩する、兄弟と喧嘩する。

事故に遭う、事故を起こす、誰かが事故に遭う。

災害が起きる、病気になる。

毎日ご飯が食べられる、学校に行ける、家族に会える。

朝目が覚める。

 

どれも当たり前なんかじゃないんです。いつ消えてしまうかわからない。いつ無くなってしまうかわからない。いつ会えなくなるかわからない。

私の祖父は、私が3歳の時朝布団から起き上がることはありませんでした。明日の朝いつも通り目が覚めて、眠気を我慢しながら布団から出るなんてことさえ当たり前ではないんです。

 

毎日の中で起きているすべてのことは当たり前ではなく、「有り難いこと」だと思っています。ありがとうとは、有ることが難しいこと。全てのことは有り難いことです。決して当たり前なんかじゃない。

 

目の前にある当たり前たちを深く深く「観て」、少しずつ「有り難う」「有り難い」に変えていけると、心が豊かになると思います。自分もまだまだですが。