今日で29歳になりました。もう「若い」という賞味期限は残っていません。おっさんの類に入ってきました、戸野です。
今日ということタイミングで頭の中が色々と整理させて、言葉が溢れてきたので書き留めておこうと思います。
決して病んでしまっているわけではありません。ただ、これから書くことを快く思わない人も一定数いるとような気がしています。嫌われる覚悟で言葉を吐き出します。
まず、今の僕の心の中はとても明るいです。希望に満ちています。「まだまだこの世界は捨てたもんじゃないな」と感じています。
というのも、僕はもともと人や世界に対して期待しないというか、諦めて人生の大半を過ごしてきたように思います。
幼い頃から人の感情がよくわかりました。観察する力が高かったんだと思います。言葉・表情・体の動き、人を見ていると「きっとこの人はこういうことを思っているんだな」というのが8割方わかりました。あとの残りの答え合わせをするのですが、だいたい最初のイメージから外れていくことはありません。
人のいいところももちろん見えてくるし、その反面人間の汚いところもよく見えます。自分だけが素晴らしい人間だなんてことは微塵も思っていません。僕も大したことないただの1人の人です。
それも含めて、人間だと受け入れるようになったのも小学生くらいのことだと思います。いつからか「人ってそんなもんだよね」と思いながら過ごすようになりました。
誰かと話していても「あ」と心が離れていきます。相手の中身が見えてしまうので。
誰しも大なり小なり感じていることだとは思いますが、その精度・解像度が少し高いのだと思います。
時は進んで書道家として活動するようになりました。
初めの頃の作品は今となっては見ていられません。中身やメッセージの無いものがほとんどです。ここ2年くらいでようやっと自分が作品で表現している核が「愛」なんだと気づき、グッと中身が濃くなっています。
というのも、今の自分が在るのはこれまで見てきた人の負の感情を一切無視したような愛のこもった人に出会ってきたからです。その人たちにたくさん救われてきました。一切混じり気のない思いだけが感じられるからです。
そしてこの5月に入って、また大きな出会いをしています。そんな方達を見ていると「この世界はまだまだ捨てたもんじゃないな」と思えます。後ろ指を刺されようが、汚い言葉や感情をぶつけられようが前に進んでいく背中を見て、勝手に共感し、涙が込み上げてきます。自分の伝えたい「何か」を届けるためには相当なエネルギーが必要だと思い知りました。
「みんなちがってみんないい」を全ての人が受け入れることができるようにこの世界は出来ていません。僕も嫌いな人は嫌いです。だから仕方のないことだと思います。
じゃあ僕たちが生きている世界に対して伝えたいことは「何か」。
自分が表現している「愛」のその向こうには、「弱っている人をたすけたい」というデッカい思いが自分のしたいことの根っこなんだと思います。希望を無くして沈んでいる人に、悩みもがいている人を、「大丈夫だよ」って抱きしめてあげたい。誰かにとっては「そんなこと」で悩んで苦しんでいるように見えても、本人にとっては「大事なこと」なんです。それを乗り越えるには大きな勇気やエネルギーが必要です。
そこを超えていくのはその人自身ですが、乗り越えていくきっかけに成れればいいなと。
でも本当に抱きつくわけにいかないので、作品を通して寄り添いたい。これが作品を通してやりたいことです。ようやく自分のことがわかってきました。自分のことをわかるって意外に難しいもので。
非常におせっかいで求められているわけではないことかもしれません。
でも「この世界は生きるに値する。あなたの人生はあなたが決めていくことができる。だから大丈夫だよ」って言ってあげたい。
そのきっかけが、「愛に気づくこと」だと思っています。
愛とは思いやりです。本来どうでもいい相手のことを勝手に思いやるところから、優しい世界が始まっていくように思います。そのずっと先にあるのがきっと「世界平和」なんていうばかでかいことなんですが、でもきっと理想は世界平和です。
自分に関わってくれる人、その限られた人たちだけでも愛に溢れた人生になってほしいと願っています。この先出会う人、これまで出会ってきた人の人生に明るい風が吹くことを願っています。何かちょっとした変化でも、僕たちは大きく変わることができます。だって人生の主人公は「あなた自身」なので。
1人でも多くの人に「愛が届けばいいな」と思います。少しでも「自分の人生って素晴らしいな」と感じてもらえるように祈ります。立ち止まって悩んでいる背中に歩き出す勇気を送ります。誰にも認められず、気づいてもらえないその努力を讃えます。
人それぞれに置かれた変えることの出来ない状況があることは重々承知しています。
それでもあなたの人生に吹き込んでくる風のように成れればと願っています。
長々とした29年分を吐き出した日記になりました。