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映画「耳をすませば」のおじいさんに感動。

書道家

こんにちは、戸野です。

 

近ごろはご無沙汰しておりました。なかなかブログを投稿することができなくて。体調はすこぶる元気です!

 

さて今日は久しぶりに観た映画「耳をすませば」の話をしようと思います。昔この作品を観た時は面白さが全くわかりませんでした。歳を重ねてから観るととても味わい深かったです。

中でも感動したのが、作中に登場するお店、「地球屋」のおじいさんです!!

 

主人公は自分のやりたい事を見つけて必死に形にしようと努力しますが、なかなかうまく行きません。

そのことに対しておじいさんは、一つのことを極めて高めていくということを優しく教えていました。「最初は荒削りで真っ直ぐでいい。時間をかけて少しずつ自分の中にある宝石の原石を磨いて行ったらいいんだよ。」と、話していました。

 

このシーン、じ〜んとくるものがありました。ちょっと泣きました。

自分の学生時代や書道家として活動を始めた頃を思い出したからです。

 

自分の好きなことを見つけることと、それを思うように具体化していくこととは違います。僕はそのことを大学で書道を学んだ際も、書道家の道に進んでからも痛感していたので、主人公の葛藤や不安がよくわかりました。

 

初めから自分の思い通りに表現はできません。ここでいう「思い通り」とは技術的・知識的にという意味です。そして人はどうしても周りと自分を比べてしまいます。

僕の場合も「上手いな〜。」と思う人は周りにゴロゴロいました。そうするとだんだん自信がなくなっていきます。本当に自分は好きなことをやっているのかと疑うことすらありました。「このままで自分は本当に何かの形を掴むことはできるのか」とも思いました。

 

でも、進んでいくしかないんです。原石を磨き、削っていくんです。

 

だから、「努力」します。自分の書きたいもの・スタイルを自分で作り上げていくために様々な技術・知識を吸収していく必要があります。

 

書道で言うと、一本線を書くだけでも実に多様な表現ができます。「始まりは鋭く書くのか、柔らかく丸みを持たせるのか。」「太さはどうしよう。」「直線的?それとも緩やかに曲げる?」「終わりはシンプルに止めるのか、はたまた勢いをつけるのか。」とまあこんな具合に考えられることは山のようにあります。

これを一文字の中にある全ての「線」と「空間」、文字の無い「余白」を使って書道は表現していきます。さらにキャンバスと絵具を使い出すともう大変です!

これらの技術や知識を吸収するために実に膨大な時間とお金が必要でした。現代に残る様々な名筆たちの特徴を自分で再現するために書きまくりました!

 

難しいですし大変ですが、僕は楽しかったです。

 

 

今自分が書道家として自由に楽しく書くことができるのは、そうした「努力」とその努力すらも楽しむことができたからだと思います。学生の時は夜通し書きました。足も頭もふらふらです。それだけ書いても納得のいくものができるとは限りません。でも、「楽しかった。」

 

大切なことは「楽しく努力する。努力を楽しむ。」ことができるか、だと思います。いかに楽しく原石を磨くのか。

 

自分の子供や孫にあの地球屋のおじいさんのように温かく背中をそっと押す言葉をかけられるようなおじいちゃんになっていたいな。そんなふうに思います。

 

もう1回「耳をすませば」見返そうかな。笑

 

ではでは。

 

 

 

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