スポンサーリンク

5分でわかる漢字の成り立ち!始まりは中国の伝説!?

未分類

こんにちは、戸野です。

プロフィールは→こちら

 

今回は、漢字の成り立ちについて。

普段使っている「漢字」ってどうやって生まれたの?

 

漢字の種類はどれぐらいあるの?

以上のことについてみていこうと思います。

 

漢字の始まりは中国の神話!?

現在、私たちが使っている漢字は中国から伝来したもの。

その漢字を元に造られたのが「平仮名」と「片仮名」です。

 

中国の漢字の起源を探っていくと、なんと神話に行き着きます!

 

蒼頡という人物

蒼頡 Wikipediaより

伝説によると、黄帝(こうてい)という太古の帝王の時代に記録を担当する役職にあったのが、

「蒼頡」(そうけつ)という人物。

 

鳥や獣の足跡からヒントを得て漢字を発明したと言われています。

上記の写真の通り、蒼頡には目が4つあります!

 

「鳥や獣の足跡を観察して漢字を発明したのだから、普通の人間よりもはるかに観察眼が鋭かったに違いない。」と想像され、目が4つあるという伝承が生まれました。

 

最も古い漢字「甲骨文字」

ではここからは、実際に発見された漢字を元に見ていきましょう。

 

現在知られている最も古い漢字は、中国最古の王朝殷時代(B.C1300年ごろ〜B.C1000年ごろ)に使用されていた「甲骨文字」です。

甲骨文字とは

Wikipediaより(Wikipediaより引用)

「甲骨文字」が使われていた殷時代の政治はとても宗教的でした。

戦争や農業、狩猟といった国家にとって重要なことから、王族の出産や病気、天候の予測など全ての現象をまず神の意思を伺いました。

そのためにうらないが行われました。

 

卜いと共に用いられた甲骨文字

卜いをするときには、亀の甲羅や獣の骨が使われました。

いつ誰がどのようなことを卜ったのか、吉凶の予測、その結果として起こった出来事を甲羅や骨に刻みました。

その時の文章に使われた文字を「甲骨文字」と言います。

 

 

青銅器に文字を記した「金文」

(Wikipediaより引用)

青銅器に刻まれた金文

文明の発展と共に技術が向上し、文字を残す手段が増えていきます。そこで登場したのが金文(きんぶん)です。

 

金文とは、青銅器に鋳込まれた文字のことです。

甲骨文字があより洗練されて、文字の形が安定しています。

 

時代の移り変わりと共に、分類することができます。

  • 殷金文(B.C.1300頃~B.C.1070頃)
  • 西周金文(B.C.1070頃~B.C.771年)
  • 東周(または列国)金文(B.C.770年~B.C.222年)
  • 秦漢金文(B.C.221年~A.D.219年)

 

中国の統一とともに生まれた文字「小篆」

秦を統一した始皇帝

長く続いた戦を終わらせ、国を統一したのは「始皇帝」でした。「秦の始皇帝」というワードをみなさんも学校で聞いた事があるのではないでしょうか。

彼は支配体制を整えるために様々なことを決めていきます。

 

自分の称号を「秦王」→「皇帝」に変え、皇帝の一人称を「朕(ちん)」と定めました。他の人はこの呼び方をすることは許されていません。

その他に、地方統治のための「郡県制」、貨幣の統一として「半両銭」、度量の統一を行いました。

 

自分の業績を讃える「小篆」

始皇帝は度量の標準器の表面に自分の業績を讃えるため、小篆(しょうてん)を使いました。

(Wikipediaより引用)

これまでは各地で使われていた書体はバラバラでした。国を統治していくためには各地の行政で多量の文字を書く必要がありました。

始皇帝は全国の標準となる書体を制定させました。もともと使われていた「大篆(だいてん)」を簡略化して小篆を作りました。

 

 

もう少し早く書きたいから生まれた「隷書」

行政の記録として生み出された篆書ですが、多くの文字を書くのには少し不便でした。

いつの時代も人は楽したいものです!少しでも早く、ちょっとでも簡単にしたい!

 

そんな中「隷書」(れいしょ)が登場します。

 

曲線が多い篆書を簡単に直線的に書けるように隷書が生まれました。

有名どころでいうと、「曹全碑」(そうぜんひ)はとても綺麗ですね!!

(Wikipediaより引用)

 

社会に溶け込んでいる文字

私たちが生きる現代においても、隷書は使われているんです!

例えば、日本円です。

(Wikipediaより引用)

 

紙幣に使われている漢字は隷書体が使われています。

「千」の二画目の最後を右に払う部分が隷書の特徴です。

お店の看板、商品のロゴなどをよく観てみると案外たくさん隷書があって面白いかもしれません!!

 

みんな見た事がある「楷書」

ここまで色々な書体を見てきました。この辺りから様々な書き方が出てきてどの方が先なのかというのはわからなくなっていきます。(僕の勉強不足もあるかと多いますが。笑)

 

お次は誰でも最も身近にある「楷書」(かいしょ)です。

教科書・新聞・テレビにネットなど、日常的に見る程全ての文字はこの楷書ではないでしょうか。

しかし書道においては楷書といっても実に様々な書き方、書風が現代まで残っています。

いくつか紹介していきます。

始平公造像記

(Wikipediaより引用)

 

北魏という時代には大規模な仏像などからなる洞窟、龍門石窟が作られました。

現在は観光地になっています!

(Wikipediaより引用)

 

ちなみに造像記とは、仏像を彫刻した際に込められた思い、故人に対する願いなどを記したものです。造像記は文字が角張っているのが特徴です!

 

九成宮禮泉銘

(Wikipediaより引用)

この書は書道において 楷書の極則と称されるほど端正で整った文字だとされています。

私が大学で学んでいた時も勉強しました。

すっきりしていて綺麗なので書くのも難しいです。笑

 

雁塔聖教序

(Wikipediaより引用)

こちらの書、先ほどの九成宮禮泉銘とは少しが異なりますがこれも楷書に分類されます。

独特のゆったりとした柔らかい雰囲気が感じられます。

 

超有名!!「蘭亭序」

(Wikipediaより引用)

先ほどは「楷書の極則」と呼ばれる書を紹介しましたが、今度は「書聖」として長らく愛され尊敬されている王羲之(おうぎし)が書いた「蘭亭序」(らんていじょ)です。

印がたくさん押されているのは、これだけ多くの人の手に渡り所蔵された証です。

 

ちなみにこの書はもうこの世に現存していないと言われています。

この書をあまりにも愛した皇帝の太宗は蘭亭序を自分と一緒に埋葬してしまいました。しかしその後誰かに盗まれたのだとか。真相はなんとも言えません。

上記の画像も原本ではなく、臨書したものです。時の権力者たちが蘭亭序を複製させたため、実に様々な蘭亭序があります。

 

これほど多くの人々の心を掴んで離さない作品ですが、実はの書は草稿、つまり下書きだったと言われています。何度書き直しても草稿を超える事ができなかったとか。

作品制作の際にも深く考えすぎず自由に書いたものが一番いいなんて事は多々あるものです!笑

 

省略を極めた「草書」

早く書くこと、より簡略にすること。これらを極めたのが草書(そうしょ)です。

楷書に比べると形が大きく異なるものが多いので、スラスラと読めるようになるには相当時間がかかります。

真草千字文

(Wikipediaより引用)

智永(ちえい)の真草千字文は右に楷書、左に草書が書かれています。

草書を学ぶ際によく用いられる書でもあります。私も大学の際書きました。

 

その他にも様々な書があります!

ここまでたくさんの書を紹介してきました。いかがだったでしょうか!?

書は時代だけでなく当時の文化においても変化していきます。また当時の書家たちも過去の書家から影響を受けて自身の書風につなげています。

 

私が好きなのは傅山(ふざん)という人物です。

大学では彼の書を研究し、卒業論文と卒業制作のテーマにしました。

その作品はこんなどでかい屏風です。笑

書道を専門に学んだ大学の様子はこちら↓

大学生活をふりかえり!

 

楷書・行書・隷書・篆書・草書それぞれに書家と書風があり、よくよく見比べてみると面白いものです。またそれらの背景を調べてみると書き手の人物像、時代背景などを見ていくと違った味わいがあって面白いかもしれません!!

今回は漢字がどのように生まれたのかについてみていききました。

「書道ってちょっと面白いかも。」という入り口になればと思います!!

 

 

参考文献

・王羲之と顔真卿 二大書聖のかがやき

 監修 宮田淳

・図説 漢字の歴史  著 阿辻哲次

コメント