「失敗する」より「試してみない」ほうが怖い。

活動

 

こんにちは、戸野大信です。

現在クラウドファンディングに取り組んでいます。今回が初めての試みとなるのですが、とてもとても勉強になっています。失敗も成功もとにかく試してみないとわからない。もちろんバットは全力で振っているので今回の経験はこれからの活動に必ず活きてきます。(いや、活かしていきます!)

ご支援いただけると嬉しいです。

https://camp-fire.jp/projects/view/748094?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show

 

 

ということで今回は、

「失敗する」より「試してみない」ほうが怖いという戸野が最近感じているお話です。

 

僕には弟妹がおりまして、それぞれ人生の岐路に立っています。その選択肢の中には「挑戦する」と「挑戦しない」があって、これは僕自身も常に同じようにその選択肢があります。

ここでいう「挑戦しない」は、そもそも出来そうにないことをやってみるということではなくて、頑張ったら手が届きそうなことに何らかの理由をつけてやらないということです。

そもそも試してみないと分からないことがほとんどです。成功者というポジションがあるとするならば、その人たちのやり方やヒストリーはあくまでその人たちのもの。参考にはなっても再現性はありません。

 

だから、少しでも可能性を感じているならバッターボックスに立って思い切りバットを振ってみたらいいと思います。(少年野球をしていたので野球で例えています⚾️)

その結果が空振りでも次の打席でまた試してみればいい。

何度目の三振で諦めるのかはバットを振ってからでも遅くないと思います。

 

 

そんなふうにチャレンジしてみようと思った時、壁になって立ちはだかるのは案外自分に近い人だったりします。

100%信頼できる人の意見は聞くべきですが、ここにはひとつ僕の中での判断基準があります。

それは意見を言う人が「同じ道を目指していた」もしくは「目指す先で活躍していたか」です。

基本的に目指す道を経験した人の意見はその人の経験則に基づいているので貴重な判断材料だと思います。そしてその逆もあります。例えば、プロ野球選手を目指す人が、プロ野球どころか野球経験もない人に、「お前には無理だからやめとけ」と言われるやつです。

この言葉の奥には心配や思いやりがあるはずなのですが、これをそのまま受け取っていてはチャレンジなんてできません。

 

いずれにしろ全ては判断材料で、最後の決定をするのは「自分自身」です。これは誰であっても同じです。

 

長くなってしまいましたが、僕が言いたいのは「やりたいならやってみなよ!」ということです。やり切った自分とやらなかった自分では、見える景色が全然違います。

 

自分に近い人たちには思い切ってバットを振ってみて欲しいなって思います。

 

名前を贈る。名前を飾る。
名前を贈る。名前を飾る。自分の名前を気軽に飾れる。和紙と墨だから感じられる温かさ。自分の名前を改めてじっくりと見て、大切に日々を過ごしてほしい。

 

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